ネコとワタシと小さな暮らし

ネコと私との小さな暮らしを綴ります。

3月3日の誕生日

ワタシは昭和のある年の3月3日雛祭りに産まれた。


覚えやすく、おまけに女の子のお祭りなので


そこまで親しく無い人にも覚えて頂けるのか、その日になると


お祝いのLINEやメッセージをいただく。


この年になって誕生日を覚えていてくれお祝いを言われる事は


恥ずかしいやら、嬉しいやら。




今年の誕生日はいつもと違う一日だった。


前日の2日・・・仕事をしていると・一本の電話


職場の近くに住む叔母からだった。


よく、頼まれごとをするので今回も軽い気持ちで電話に出る。


固まった・・叔母の話が飲み込めず・・


「ごめん・・もう1回最初から話して」  その内容は


叔父が自宅トイレで倒れ、心肺停止で救急車で運ばれた


そして、息を引き取ったというものだった。



救急車??さっきの?


仕事をしている最中に職場の前を救急車がサイレンを鳴らして通り過ぎた。


そして、20分後位にまた遠くからサイレンの音。


先程の救急車か・・職場の入り口を開けて通りを見る。丁度角を曲がって


目の前を通る救急車・・


あれに叔父が乗っていたのだ( ;  ; )


この叔父夫婦はワタシの父の弟と母の妹とが一緒になり


二人ともが血縁で、特に叔父は結婚する前に実家でワタシが子供の頃に


一緒に暮らし、可愛がってもらっていた。


すぐに、病院に向かう為に実家の母を迎えに行く。



自宅で心肺停止になった場合、死因をはっきりさせるために


亡くなった後に検査が色々あるそうで・コロナ禍もあり、


ごく限られた身内のみしか会えないという事。


それでも人が亡くなると、悲しむ間もなく、通夜、葬儀に向けての


準備を進めなくてはならない。



叔父が帰る前に、安置する布団や部屋の準備をしに叔父の家に


叔父を迎えた後は、職場に戻り仕事をかたずけた。


そして、もう一度叔父の家に



通夜は1日おいて4日になるそうで・・・


3月3日・・仕事をしながら、高齢の叔父(亡くなった叔父の兄)を


迎えに行き、連れて亡骸と対面してもらう。


お経さんが終わると、兄叔父を送り、仕事をかたずける。



もう・・誕生日どころでは無い・・



ほぼほぼ一日、ゆっくり食事をする間もなく、ヘロヘロになって


帰宅した。


自宅にそっと置いてあったのは・・・・


ムスメが買ってきてくれた・・雛祭りのケーキ



ムスメからは


”こんな時だけど、お誕生日おめでとう


ささやかなお祝いの気持ちです”とメッセージ



昨日からゆっくり座る間もなかったな・・・・


お湯を沸かし、珈琲を入れて・ラグにぺたんと座り、


バウムクーヘンを一口・・・


嬉しいのか・悲しいのか・ほっとしたのか・・


それとも寂しいのか・・


叔父が亡くなってから・・初めて涙を流した・・・




本日もお付き合い頂きありがとうございます。

※お別れは寂しいけれど・・しっかり送ってあげにゃさい・・